チベット族 [藏 zàng]

zang人口:約460万人
居住地域:チベット自治区、青海省の海北、黄南、海南、果洛、玉樹などいくつかのチベット族自治州と海西モンゴル族チベット族自治州、甘粛省甘南チベット族自治州と天祝チベット族自治県、四川省の阿坝・甘孜自治州、及び木里チベット族自治県、雲南省の迪慶チベット族自治州に居住。
言語:漢語・チベット語系のチベット・ミャンマー語族チベット語分支に属するチベット語を使用。ウーツァン(衛蔵)、カム(康)、アムド(安多)の3種の主要な方言がある。
歴史:1970年代から、チベットの各地域から磨光打製石器、骨器、建築遺跡など、大量の石器時代の遺物が出土し、5000年以上前にはすでに青蔵高原で人間の生活が営まれていたことが証明された。
漢籍史料の記載によれば、青蔵高原は古代の西羌人の遊牧地区であった。羌人の遊牧民の集落は150余りに達し、青蔵高原西部の辺境に分散していて、そのなかの発羌、唐羌などの集落は、中原から遠く離れた析支河西部の水源一帯であり、古代の西羌人がチベット族の祖先であろうと考えられている。

西暦6世紀、雅隆地区の首領が鶴提悉勃野部族同盟の指導者になり、「ツァンプ」と名乗り、奴隷制社会に入った。西暦7世紀に至って、ソンツェン・ガンポがチベット全域を統轄し、吐蕃王国を築いた。

吐蕃王国はその後相次いで唐王朝の河西隴右(現在の甘粛省、青海省)、安西四鎮(新彊ウイグル自治区)を占領し、多くの漢族や西域、あるいは南詔国の各集団を統治した、これら集団の住民の一部もチベット族に組み込まれた。後に元王朝が吐蕃王国を中央政権の支配下におさめ、チベット族は単一民族として形成されていった。以後の漢族の史書では、チベット族は吐蕃、西蕃、唐古特、蔵蕃などと呼称されている。


基本的に農業と放牧を主としており、ツアージボー川中・下流の両岸地帯と青海省湖環湖地区は高原農業地区、四川省の高山峡谷と青海省の一部は、半農半牧地区である。チベット族地区の草原牧場は、中国全体の牧場の約四分の一を占め、中国の牧畜業の一大基地となっている。

特産物は、チベット綿羊、チベットヤギ、ヤク、ウマ、偏牛(ヤクとウシの雑種)で、特にヤクは青蔵高原では重要な交通輸送手段であり、毛皮、ミルク、バターなどの畜産物の原料ともなっている。農業では主にチンクー麦を栽培しており、これが主食のツアンパの原料となる。

ツアンパとは、いわゆる麦焦がしに似たもので、チンクー麦の粒を妙って粉にし、これに水や茶を加えて手で練って食べる。また、チベット族は竹筒に食塩とバターを加えてよく振って作ったバター茶を飲む習慣がある。青蔵高原では野菜の収穫が非常に少ないため、茶葉はビタミン源としても必需品となっている。

チベット族が信仰するチベット仏教(ラマ教)は、仏教が7世紀にチベットに伝えられたあと、もともとあった土着のシャーマニズム的な要素を持つボン教との融合を経てしだいに形成された、独自の地方色を持つ大乗仏教である。

チベット仏教

チベット仏教は日本と同じ大乗仏教。大きく分け、ニンマ・カギュ・サキャ・ゲルクの四宗派がある。高僧が亡くなると。生まれ変わりを探す「転生活仏」の制度をとっている。その代表がダライ・ラマ法王で、現在14世。

活仏転生制度

仏はよみがえり不滅であるとする思想に基づいたもので、チベット仏教の主要な分派で、飲食、妻帯を禁止するなどきびしい戒律を持つ黄帽派(黄教)が、教権継承の方法として制度化されたとされる。
高僧が遺言で指定した地方に、49日間以内に誕生した乳児の中から、神畏の備わっている者=転生霊童を選び、転生者とする。転生霊童を探し出す伝統的な方法としては、
・先代ラマの遺体の観察
・聖なる湖(中央チベットのラモイラツォ湖)の湖面の観察
・神託・占い
・本人に対するテスト
が行われる。

“活仏”とは菩薩の化身とされる高僧のことで、その中で最も大きな権力と権威と持ち、最も大きな崇拝を受けているのが、ダライ・ラマ(ちなみに、チベットの人々はダライ・ラマと呼ばず、イシェ・ノルブ(如意珠)、ギャルワ・リンポチェ(仏のような宝者)、クンドゥン(御前様)、チェンレーシ(慈悲の観音菩薩)、キャプゴン・リンポチェ(救世主)などの名で呼んでいる。)とパンチェン・ラマである。

現在のダライ・ラマは十四世だが、十三世が1933年に没した際、

  • 南向きに安置してあったはずの遺体の顔が、東向きに変っていたこと
  • 聖なる湖であるラモイラツォ湖の水面から5色の虹のような美しい色が現れた後、ア(Ah)・カ(Ka)・マ(Ma)というチベット語の三文字が浮かんだこと
  • Aはアムド(北部チベット)KAとMAはチベット仏教史における最大の聖人・ツォンカパ誕生の聖地に建てられたクンブル寺を示しているとする神託
  • 当時3歳にも満たないラモ・トゥンドゥプ少年(現ダライ・ラマ十四世)が、ダライ・ラマ十三世の数珠を選んだこと

などから十三世の生まれ変わりと認定された。

チベット族の文字は少数民族のなかでも歴史が古く、7世紀以前にすでに簡単な文字を持っていた。7世紀にソンツェン・カンポが吐蕃王国を築いたあと、諸国の文字について考察を行うため大臣をインドヘ派遣し、帰国後サンスクリット文字(グプタ文字)の字体をもとに古チベット文字の規範改革を進め、現在使われている横書きの表音チベット文字を制定した。チベット文字制定の初期は、仏教の経典の翻訳を主としていたが、のちに宗教哲学、文学、芸術、天文暦算、医薬、工芸など、各種の学問を含む大量の著作を記述するまでに発展した。

チベット文字

中華人民共和国西蔵自治区とその周辺に分布するチベット族がチベット語の書写に用いてきた固有の文字。

チベットの文字のことを、チベット語ではプイィ bod yig(カナは発音を、ローマ字はチベット文字によるつづり字のローマ字転写を示す)という。bod は「チベット」、yig は「文字」。

伝承によれば、7世紀、中国史料の「吐蕃」王国を創始したソンツェン=ガンポ王(581~649)が、大臣トゥンミ=サンボタ(thon mi sam bhota)をインドに派遣し、インド系文字を基につくらせた。

チベット文字は表音文字で、基本的には子音字30とi、u、e、o を表す母音記号4から成り、ほかにサンスクリットを転写するのに用いられる子音6と母音記号3がある。
子音字のなかには他の子音字と結合する場合に多少字形の変わるものがある。
左横書きで、音節の切れ目は点によって示されるが、単語の切れ目は示されない。
音節の頭を示す子音字あるいは2~4個の子音字の結合が母音記号を伴わない限り、その音節の母音はaであって、子音字1個でも子音十aの音節を構成するから、チベット文字は単音(音素)文字兼音節文字の性格をもつ。

書体には、大別して楷書体にあたるウチェン(「有頭体」)と行・草書体にあたるウメェ(「無頭体」)とがあり、前者は伝統的な木版、近年の活版に、後者は写経・公文書・記録・手紙などの書写に用いられる。

チベット文字から派生した文字としては、13世紀に元の世祖フビライ=ハンの命によりラマ僧パスパによって蒙古語を書くために考案されたパスパ文字と、18世紀にシッキム(南下してきたチベットの一族を支配者と仰ぐレプチャ族の王国)のレプチャ語を書くためにつくられたレプチャ文字がある。

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