宋(南宋)

宋(南宋)

徽宗の第9子で欽宗の弟であった康王は、「靖康の変」の際に河北にいて難を逃れ、北宋の滅亡後、河南の応天府(現在の商邱)で帝位につき宋を復興し、南宋の初代皇帝・高宗として即位した。

高宗は金の追撃を受けて、南に逃げ長江を渡り、江南の諸勢力・反乱を平定して南宋の基礎を確立し、1138年に都を臨安(現在の杭州)に定めた。
1142年の金との和議によって南宋の領土は北宋に比べて半減したが、経済的に豊かな江南を確保し、経済的には大いに繁栄した。南宋には金の支配を逃れて多くの漢人が南下し、江南の人口は急速に増加した。彼らの手で江南の開発が進展し、以後江南は中国経済の中心地となった。
南宋第2大皇帝の孝宗の在位27年間で、長江下流域の沃野が開拓され、農業技術の進歩と共にますます米や茶などの生産が増え、「江蘇熟すれば、天下足る」とまで言われるようになった。
景徳鎮などの陶磁器をはじめ、絹織物、製紙、印刷などの産業が興り、国内の商業が発達し、広州や泉州などでは対外貿易も盛んになった。
対外貿易では、陶磁器、特に白磁が世界的に有名になり、磁器のことを英語で「Bone China(ボーンチャイナ)」と呼ばれた。
南宋の銅銭は、密輸によって海外に流出したが、それが世界通貨の役割を担うまでになり、国都・臨安の繁栄は絶頂期を迎える。13世紀末にこの地を訪れたマルコ・ポーロも、その繁栄振りに驚嘆している。

南宋は、9代約150年間続いたが、1234年に金がモンゴルに滅ぼされると、南宋は直接モンゴルと境を接することなった。やがてモンゴルでフビライ=ハンが即位すると、全力で南宋攻略にかかった。南宋は再三講和を申し入れたが拒絶され、1276年ついに首都臨安が陥落した。

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