隋に代わって、中国を支配した唐は基本的に隋の支配システムを受け継いだ。

626年に即位した太宗は、租庸調制を整備し、律令制を完成させた。唐の都の長安は、当時世界最大級の都市であり、各国の商人などが集まった。唐時代には、ゾロアスター教・景教・マニ教をはじめとする各地の宗教が流入した。また、文化史上も、唐時代の文学は最高のものとされる。

712年に即位した玄宗は国内の安定を目指したが、すでに律令制は制度疲労を起こしていた。また、周辺諸民族の統治に失敗したため、辺境に強大な軍事力が置かれた。これを節度使(※ポップアップウィンドウが開きます)という。節度使は、後に軍権以外にも、民政権・財政権をももつようになり、力を強めていく。

763年には、節度使の安禄山たちが安史の乱と呼ばれる反乱を起こした。この反乱は何とか鎮圧されたが、各地で土地の私有(荘園)が進み、土地の国有を前提とする均田制が行えなくなっていった。結局、政府は土地の私有を認めざるを得なくなった。結果として、律令制度は崩壊した。

875年から884年には黄巣の乱と呼ばれる農民反乱がおき、唐王朝の権威は失墜した。このような中、各地の節度使はますます権力を強めた。

907年には、節度使の1人である朱全忠が唐を滅ぼした。

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