| 科挙 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 中国では官吏登用のことを選挙というが、試験には種々の科目があるので、科目による選挙、それを略して科挙という言葉が唐代に成立した。隋代の598年に始まり清代の1905年に廃止されるまで1300年以上も続いた。 試験は大きく分けて文科挙と武科挙があり、文科挙が特に重要視された。試験科目は、明経(経学)、明法(法律)、明算(数学)、進士(韻文)や兵法などがあり、武科挙には演武や組み手などもあった。 科挙の流れ:( )の中は試験の回数
※郷試の主席合格者は解元、会試の主席合格者は会元、殿試の主席合格者は状元と呼ばれ、その名は郷里はもとより広く全土に知れ渡り、子々孫々まで語り継がれる名誉となる。 学校試 科挙を受けようとするものは国立学校の生員(生徒)であることが条件で、まずその学校に入るための入学試験を受ける。これが学校試と呼ばれるもので、3年に2回の割合で行われた。 県試では、まず最初の問題は四書から出る。たとえば、『論語』の本文にある「君子に三つの畏(おそ)れがある」というのが問題に出ると、その答えには「天命をおそれ、大人をおそれ、聖人の言をおそれる」という下文を引用し、それに朱子の意見や自分の解釈を加えて1つの文章をつくる。 出題後1時間ほどすると、係員がまわってきて、答案が書けた所までに印判をおす。これは答案作成の速度を知るためで、この1時間の間にもし1行も書けず、最初の所へ印をおされると、そのあとの答案がいかによくできていても、採点の際不利となる。 第二問は四書からの問題と題を示し韻を指定して詩を作らせるという問題とで2問。 県試では入学定員(4名〜25名)の約4倍ほどを採用しておいてその後の2回の試験で絞り、ちょうど入学定員の数に一致させる。 こうして、府試・院試、さらに今一度学力をためすための歳試が行なわれ、「童生」は晴れて国立学校への入学を許可され、「生員」となる。そして、官吏への関門である科挙に臨む。 科試・郷試 郷試の予備試験である科試(倍率約100倍)を突破した者を「挙子」と呼ぶ。 郷試は3年に1回、8月9日〜16日(旧暦)にかけて、各省の首府で行われる。 試験場は貢院といい、独房が蜂の巣のように何千・何万と並んでいる。 挙子は、試験開始の前日、8月8日に入場する。 門前でまず人員点呼が行われ、各学校の教官が立ち会って本人に間違いないことを確認する。点呼がすむと、今度は身体検査がある。 4人の兵卒が同時に挙子の着衣を上から下までなでまわし、荷物を開けさせて内容を調べる。挙子はそれぞれ硯(すずり)や墨、筆、水さしのような文房具のほかに、土鍋・食料品・蒲団などを持ち込んでおり、書物はもちろん、文字を書き込んだ紙片は持ち込み厳禁で、もしそれを発見した兵卒があれば、銀3両を賞に与えられるというので、取調べは厳重をきわめ、饅頭(まんとう)を割って中のあんまで調べるといわれる。 それが終わるとようやく挙子は試験場に入り、自分の独房をさがしあてる。1日がかりの入場さわぎが終わり、挙子が全部それぞれ自分の号舎に落ち着くと、大門に錠が降ろされる。この時以後はどんなことがあっても試験終了までこの門の扉は開かれない。 翌朝から試験が始まる。係員がまわってきて、答案用紙と問題用紙を配布する。この日の出題は四書題3、詩題1で、翌10日の夕刻までに回答を書き終える。 疲労と興奮とが重なり、病気になるものや発狂するものもあった。 8月11日に第2回の出題(五経題5問)、第3回の策題(政治評論)は15日に行われ、1週間にわたった郷試はすべての日程を終了する。 郷試の合格発表は9月5日から25日のあいだに行われる。 合格者は「挙人」の資格を終生にわたって獲得する。挙人は、とくに自分の才能や学問を認識して合格させてくれた試験官との間に、かたい師弟の契りを結ぶ。この師弟関係は一生涯続くことになる。これは、皇帝の側からすれば、党派をつくる一因となり好ましくなかったので、幾度か禁令が出されたが一向に効き目がなかった。そこで宋代に、殿試を設け、皇帝自らが試験官となって最終試験を行なうようになった。 科挙試─挙人覆試・会試・会試覆試・殿試 郷試のあった翌年の3月、全国の挙人を集めて会試が行われる。 この試験は身(官吏としての人格)、言(言葉遣いや討論の能力)、書(きれいな文字や執筆能力)、判(法律上の問題に関して誤りなく裁判ができるかどうか)の4種類を検査した。 清代には、挙人が多くなりすぎ、会試の前に挙人覆試を設けて志願者をふるい落した。また、殿試の前にも予備試験として会試覆試を加えている。 殿試は、皇帝自らが出題する最終試験で、少なくとも1000字を書く必要があり、答案の書き方も形式が決まっていた。 落第者はなく順位が定められ、成績第一の者を状元、第二を榜眼、第三を探花といい、この三者を第一甲とし進士及第、次の第二甲若干名を進士出身、残りの第三甲に同進士出身という学位を与えた。これらを科甲といい順番に官吏に登用された。 |
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