| 年代・年 | 出来事 |
| 70万年前頃 | ~60万年前頃) 藍田人・元謀人出現。 |
| 50万年前頃 | 北京原人出現。 |
| BC7000頃 | 長江流域に彭頭山文化(初期稲作農耕)登場。 |
| BC5000頃 | 長江流域を中心に河姆渡文化(稲作農耕確立)登場。 |
| BC4000頃 | 仰韶文化登場。 |
| BC2300頃 | 竜山文化登場。 |
| BC1600頃 | 殷王朝成立。 |
| BC1050頃 | 周王朝成立(殷周革命)。 |
| BC841 | 『史記』に記される共和元年。 |
| BC770 | 春秋時代はじまる。 |
| BC551 | 孔子が生まれる(~479)。 |
| BC500頃 | 前5世紀、オルドス青銅器文化最盛期 |
| BC453 | 晋が韓・魏・趙の三国に分裂し、戦国時代がはじまる。 |
| BC359 | 商鞅の変法が実施される。 |
| BC221 | 秦の始皇帝が天下を統一する。戦国時代がおわる。 |
| BC210 | 始皇帝が東方巡行中に死去する。 |
| BC209 | 陳勝・呉広の乱がおこる。 |
| BC206 | 秦王朝滅亡。 |
| BC202 | 劉邦(高祖)が即位し、漢王朝成立。 |
| BC187 | 呂后の臨朝(~180)。 |
| BC154 | 呉楚七国の乱がおこる。 |
| BC141 | 武帝の即位(~87)。翌年を建元元年とする(元号が制定される)。 |
| BC139頃 | 武帝が張騫を大月氏国に派遣する(~126頃) |
| BC129 | 匈奴戦争がはじまる(~119)。 |
| BC127 | 衛青が匈奴を大破し、オルドス地方の匈奴を駆逐、漢の領地とし、そこに朔方、五原のニ郡を新設 |
| BC126 | 張騫が西域旅行から帰る。 |
| BC121 | 霍去病が匈奴を討ち、匈奴西部の渾邪王が漢に降る |
| BC121~BC115 | 張騫、烏孫に向け旅行 |
| BC120 | 塩鉄の専売制を実施する。 |
| BC119 | 張騫が再び中央アジアに派遣される |
| BC115 | 漢、河西郡を設置 |
| BC111 | 前漢武帝、南越を攻め、現ヴェトナム北部を占領 |
| BC108 | 朝鮮に真番・臨屯・玄菟・楽浪四都を設置する。 |
| BC105 | 漢の公主劉細君が烏係王昆莫に降嫁する |
| BC104 | 李広利のフェルガーナ(大宛)遠征がはじまる(~102) |
| BC104 | 太初暦を施行する。 |
| BC99 | 匈奴戦争を再開する。李陵、李広利が匈奴に降る |
| BC91頃 | 司馬遷『史記』が完成する。 |
| BC77 | 漢の傳介子が楼蘭王を殺し、王弟を新王とし、国名を”鄯”と改称させる。 |
| BC60 | 匈奴の日逐王が漢に降り、漢は西域都護を新設し、タリム盆地の支配を開始する |
| BC51 | 東匈奴呼韓邪鄯于が漢に降服入朝。 |
| BC33 | 王昭君が東匈奴の呼韓邪鄯于に降嫁する。 |
| 8 | 王奔が新王朝を建て、前漢が滅亡する。 |
| 25 | 劉秀(光武帝)が後漢王朝を建てる。 |
| 45 | 烏桓、鮮卑が後漢に朝貢する |
| 48 | 匈奴が南北分裂し、日逐王比か後漢に降り、南匈奴鄯于となる |
| 57 | 倭奴国の使者が洛陽に朝貢する。 |
| 73 | 竇固が北匈奴を攻撃し、呼衍王を破る。班超が西域に派遣される |
| 74 | 西域都護、戊己校尉を復活し、後漢が直接西域経営を行う(~76) |
| 87 | 北匈奴優留鄯于が鮮卑に殺され、その五八部二〇万人が来降する |
| 88 | 竇太后の臨朝(~97)。 |
| 91 | 漢の西域放棄後、疏勒に留まった班超が西域平定の功により西域都護に任ぜられる(~102)。 |
| 94 | 班超が焉耆を討ち、後に西域の五国が漢に服属する |
| 97 | 甘英が班超の命でローマに派遣され、パルティア国に至る |
| 100 | 許慎『説文解字』成る。 |
| 105 | 蔡倫が紙を和帝に献上する。 |
| 107 | 西域都護が再び廃止され、漢と西域諸国の交流が断絶 |
| 123 | 班超の子班勇が西域長史となり、鄯、高昌が漢に服属.。 |
| 148 | パルティア出身の安世高が漢の都洛陽に至り 仏典の翻訳に従事 |
| 166 | 大秦(ローマ)王安敦の使者が来朝する |
| 166 | 党錮の禁おこる。 |
| 184 | 黄巾の乱おこる。 |
| 208 | 赤壁の戦い。曹操が孫権・劉備の連合軍に敗れる。 |
| 216 | 曹操が南匈奴鄯于を”邺“に抑留し、右賢王を帰らせて南匈奴を監領させる。 |
| 216 | 曹操が魏王に封じられる。 |
| 220 | 曹操死去。曹丕(文帝)が後漢より受禅し、魏王朝を建てる。九品官人法を制定する。 |
| 221 | 劉備が蜀漢を建てる。 |
| 222 | 孫権が呉国を建てる(229に皇帝を称す)。 |
| 233 | 魏、鮮卑を討つ |
| 234 | 諸葛亮が五丈原に死す。 |
| 238 | 倭王卑弥呼の使者が魏に来貢する。 |
| 263 | 魏が蜀漢を併合する。 |
| 265 | 司馬炎(武帝)が魏に代り晋王朝を建てる。 |
| 280 | 晋が呉を滅ぼし、天下を統一する。戸調式(占田課田法)を発布する。 |
| 301 | 八王の乱がおこる。 |
| 304 | 南匈奴鄯于の末裔劉淵が漢(前趙)を建国(~329)し、五胡十六国時代となる |
| 315 | 鮮卑族の拓跋氏が自立し、猗盧が代王に即位 |
| 316 | 前趙の劉曜が西晋を滅ぼす。 |
| 318 | 司馬睿(元帝)が建康で即位し、東晋王朝を建てる。 |
| 337 | 慕容、燕王を称す。 |
| 357 | 燕王、”邺“に遷都。 |
| 376 | 前秦の苻堅が前涼を滅ぼし、華北を統一する。 |
| 383 | ”淝水”の戦い。苻堅が東晋に敗れる。 |
| 386 | 鮮卑の拓跋珪が北醜を建国(~534)。漠北の地には、鮮卑に代わって柔然が台頭 |
| 398 | 拓跋珪(太祖道武帝)、北魏の都を平城にうつす |
| 399 | 東晋の仏僧法顕が陸路インドへ求法の旅に出発(~414) |
| 401 | クマーラ・ジーヴァ(鳩摩羅什)、長安で訳経開始 |
| 413 | 倭王讃の使者が東晋に来貢する。 |
| 420 | 劉裕が東晋に代り宋王朝をおこす。 |
| 439 | 北魏が北涼を滅ぼし、華北を再統一する。 |
| 471 | 北魏の孝文帝の即位(~499)。 |
| 478 | 倭王武が宋に使者を送る。 |
| 479 | 蕭道成が宋に代り斉王朝をおこす。 |
| 485 | 北魏が均田法を公布する。 |
| 493 | 北魏が平城より洛陽に遷都する。 |
| 502 | 蕭衍が斉に代り梁王朝を建てる。 |
| 518 | 北魏の仏僧宋雲、慧生の二名が仏典を求めてインドへ出発(~552) |
| 523 | 六鎮の乱がはじまる。 |
| 535 | 北魏が東西に分裂する。 |
| 548 | 侯景の乱がおこる。 |
| 557 | 陳霸先が梁に代り陳王朝を建てる。 |
| 577 | 北周が北斉を滅ぼし、華北を統一する。 |
| 581 | 楊堅(文帝)が北周に代り隋王朝を建てる。律令(開皇律)を制定する。 |
| 589 | 隋が陳を滅ぼし、天下を統一。南北朝時代がおわる。 |
| 600 | 倭国の者が来朝する。 |
| 604 | 煬帝が即位する。 |
| 606 | 進士科試験が始まる。 |
| 607 | 倭国が遣隋使(小野妹子)を派遣する。 |
| 610 | 大運河が完成する。 |
| 618 | 煬帝が殺され、隋が滅亡する。李淵(高祖)が即位して唐王朝を建てる。 |
| 626 | 玄武門の変。太宗の即位(~649)。 |
| 629 | 玄奘が仏典を求めてインドへ出発(~645) |
| 630 | 東突厥のイリ(頡利)カガン、唐軍に大敗して滅ぶ |
| 630 | 突厥が唐に投降する |
| 630 | 日本が遣唐使を派遣する(~894)。 |
| 634 | 吐蕃(チベット)を統一したソンツェン・ガンポが唐に遣使 |
| 640 | 唐が麹氏高昌国を滅ぼして安西都護府を設置し、西域経営の拠点とする |
| 641 | 吐蕃のソンツェンガンポ王のもとへ唐の文成公主が降嫁 |
| 643 | 王玄策、インドに派遣される |
| 647 | 鉄勤諸部が唐に降服、唐は燕然都護府(のちに安北都護府)を置きモンゴリアを支配 |
| 670 | 吐蕃が唐の安西四鎮を陥す。吐蕃のロンチリンが青海方面で唐軍を大破す |
| 671~695 | 唐の僧義浄がインド、東南アジア方面へ求法の旅に出発 |
| 672 | 中国僧義浄、インド求法の途中シュリーヴィジャヤに滞在 |
| 690 | 則天武后が周国を建てる。 |
| 693 | 唐の将王孝傑が吐蕃より安西四鎮を奪回 |
| 698 | 高句麗の遺民が渤海国を建てる。 |
| 702 | 唐が西テュルクの故地に北庭都護府を新設し、西トルキスタン方面を管轄させる |
| 705 | 武后が死去し、唐王朝が復活する。 |
| 710 | 節度使を設置する。 |
| 713 | 玄宗の即位(~756)。 |
| 749 | 府兵制を廃止する。 |
| 751 | タラス河畔の戦い。イスラム教徒が唐軍を破る。製紙術の西伝 |
| 755 | 安史の乱がはじまる(~763)。 |
| 763 | ウイグルと吐蕃が唐を助け、史朝義を殺し安史の乱を終丁させる |
| 780 | 両税法を施行する。 |
| 786 | 吐蕃、敦煌を攻略 |
| 790 | 吐蕃がウイグルとの争いに勝ち安西、北庭二都護付を占領 |
| 875 | 黄巣の乱がはじまる(~884)。 |
| 907 | 朱全忠が唐を奪い、後梁王朝を建てる。 |
| 916 | キタイ族(契丹)の耶律阿保機が、自立して皇帝を称し、遼の基礎をつくる。 |
| 936 | 太原の沙陀テュルクを率いた”石敬瑭”がキタイの援助で後唐を攻め、後晋を建国(~947)。 |
| 936 | 後晋の”石敬瑭”が契丹(キタイ)に燕雲十六州の割譲を約束する。 |
| 938 | ヴェトナムで呉権、南漢軍を破り、翌年王位に即く(呉朝~965) |
| 947 | 契丹(キタイ)の耶律徳光が後晋を倒し、国号を遼と改める(~1125) |
| 960 | 趙匡胤(太祖)が後周より受禅し、宋王朝を建てる。 |
| 975 | 宋の太宗が北漢を併合し、中国統一を回復する。 |
| 981 | 宋の太宗の命で王延徳が天山ウィグル王国に派遣される(~984) |
| 1004 | 宋と遼の間に”澶渊の盟約”が結ばれ、両国の国境が決定される。 |
| 1038 | タングートの李元昊、大夏皇帝と称し、西夏を建国(~1227) |
| 1064 | 「濮議」がおこる。(濮王の処遇をめぐる論争) |
| 1067 | 神宗の即位(~1085)。 |
| 1069 | 王安石の新法がはじまる。 |
| 1084 | 司馬光『資治通鑑』が成る。 |
| 1115 | 女真族の完顔部のアクダ(阿骨打)が、遼の支配から自立し金を建国(~1234) |
| 1124 | 遼の王族耶律大石が金に破れ、西走して自立し天祐皇帝と称す |
| 1125 | 遼王朝が滅亡する。 |
| 1127 | 靖康の変がおこる(北宋の滅亡)。趙構(高宗)が即位し、宋朝(南宋)を復興する。 |
| 1138 | 第一次宋金和議が成立する(1142に第二次和議)。 |
| 1153 | 金王朝が燕京に遷都する(北京がはじめて国都となる)。 |
| 1161 | 金の海陵王が南宋を攻めて大敗する。 |
| 1206 | テムジンがモンゴリアを統一し、チンギス・ハーンを称して即位(~1227) |
| 1215 | モンゴル軍が南下し金の都燕京を占領 |
| 1218 | オトラル事件。チンギス・ハーンが派遣したイスラム商人がホラズムのオトラル太守に殺される |
| 1219 | チンギス・ハーンの中央アジア遠征がはじまる(~1225) |
| 1227 | チンギス・ハーンが西夏を降しての帰途、死亡する |
| 1234 | 宋とモンゴルが連合して金を滅ぼす |
| 1236 | チンギス・ハーンの孫のバトゥの西方遠征が開始される(~1242) |
| 1246 | グユクがハーン位につく |
| 1251 | モンゴル、モンケがハーン位につく |
| 1252 | ウィリアム・ルブルクがルイ九世の使者としてモンゴルに出発(~1255) |
| 1253 | フラグがモンケ・ハーンの命で西アジアへ遠征を開始 |
| 1254 | ルブルク、モンゴル宮廷に至る |
| 1257 | モンゴル軍のヴェトナム侵攻始まる |
| 1260 | フビライとアリク・ブゲのニ名がハーン位につき、アリク・ブゲの乱がはじまる(~1260) |
| 1260 | フビライが大汗となる(~1294)。 |
| 1266 | フビライ・ハーンに反対してオゴタイ・ハン国のハイドゥが反乱を起こす(~1304) |
| 1269 | モンゴル、パスパ文字を公布する。 |
| 1271 | マルコ・ポーロ父子がヴェネツィアから東方旅行に出発(~1295) |
| 1271 | モンゴルが国号を元と定める。 |
| 1274 | 元が日本に襲来する(文永の役。1282に弘安の役)。 |
| 1275頃 | 元の圧迫でタイ族大量に南下 |
| 1276 | 南宋の臨安がモンゴル(元)軍に占領される。 |
| 1277 | 元軍、ビルマを攻撃 |
| 1279 | 宋王朝(南宋)が滅亡する。 |
| 1287 | パガン朝、元軍侵入により滅ぶ。下ビルマにべグー朝成立(~1539) |
| 1288 | ヴェトナム軍、元軍を白藤江に破る |
| 1292 | 元軍ジャワに至る。シンガサリ王国滅ぶ |
| 1292 | 大運河が大都まで延長される(通恵河)。 |
| 1293 | ヴィジャヤ、ジャワの元軍を撃退してマジャパイト王国創建(~1520頃) |
| 1301 | ハイドゥ没。ハイドゥの乱終わる |
| 1325 | モロッコのイブン・バツータ、中央アジア、インド、中国への旅に出発(~1349) |
| 1351 | 河南に紅巾の賊おこる。 |
| 1352 | 朱元璋が挙兵する。 |
| 1368 | 朱元璋(洪武帝)が明王朝を建てる。元は漠北に退去する。 |
| 1399 | 「靖難の変」がはじまる(~1402)。(明朝の内紛) |
| 1403 | 永楽帝の即位(~1424)。 |
| 1405 | 明の鄭和の南海遠征(1443までの間に七回) |
| 1406 | 明軍のヴェトナム侵攻、翌年全土占領 |
| 1410 | 明の成祖永楽帝、モンゴリアを親征(~1426。五次におよぶ)。 |
| 1421 | 明、北京に遷都 |
| 1449 | オイラートのエセン・ハーンが土木堡で明の皇帝英宗を捕虜とし、さらに進んで北京を囲む(土木の変) |
| 1515 | ポルトガル商船が広東に来航する。 |
| 1521 | 明、世宗の即位。大礼の議おこる。 |
| 1550 | タタール族のアルタン・ハーンが明に入寇し北京を包囲する |
| 1557 | ポルトガル商人がマカオを占拠する。 |
| 1568 | 海禁政策を解除する。 |
| 1572 | 万暦帝の即位(~1620)。 |
| 1578 | 張居正の検地が行われる。 |
| 1582 | マテオ・リッチが来航する。 |
| 1588 | 建州女真左衛出身のヌルハチが建州三衛を統一 |
| 1592 | 豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄の役。1597に慶長の役)。 |
| 1603 | ヌルハチが蘇子河流域の興京老城に遷る |
| 1616 | ヌルハチが汗位につき、後金国と称す。 |
| 1619 | ヌルハチ、渾河流域のサルフで、明軍を大破する |
| 1626 | ヌルハチ没、ホンタイジ(太宗)即位(~1643) |
| 1631 | 李自成の乱がおこる。 |
| 1634 | チャハル部のリンダン・ハーン没 |
| 1636 | 後金のホンタイジ、国号を清に改め、大清国皇帝を名乗る |
| 1637 | ホショト部長のグシ・ハーン、青海を占領 |
| 1643 | 清のホンタイジ没、フリン (順治帝)即位 |
| 1644 | 明王朝の滅亡。清朝が山海関より北京へ入城する。 |
| 1652 | 第5世ダライ・ラマ、北京を訪れる |
| 1661 | 清、康煕帝の即位(~1722)。 |
| 1681 | 三藩の乱が平定される。 |
| 1683 | 台湾の鄭氏が降服する(中国統ーの完成)。 |
| 1688 | ガルダンが外モンゴルのハルハ部を征討。ハルハ部数十万人が清朝領の内モンゴリアへ内附 |
| 1689 | ネルチンスク条約が調印され、ロシア・清朝間の貿易とアムール川流域の国境線が確定する |
| 1691 | 清の康熙帝、内外モンゴル王公会議を召集 |
| 1696 | 康熙帝がガルダン討伐のためモンゴリアに親征(~1697) |
| 1697 | ガルダンがアチャ・アムタイで自殺し、清国の外モンゴル支配が確立する |
| 1711 | 清、トリシェンをシベリア・ロシアに派遣 |
| 1713 | 盛世滋生の人丁を実施。 |
| 1718 | 清、チベットに遠征軍を派遣 |
| 1720 | 清、ラサに入り、チベットを制圧 |
| 1722 | 清、雍正帝の即位(~1735)。 |
| 1724 | 清、ラサに駐蔵大臣を置く |
| 1727 | キャフタ条約締結。ロシアと清朝間の国境線、通商の再開などを決め、ロシア・清朝間の間係が安定 |
| 1728 | 清、チベットの反乱を平定 |
| 1729 | 軍機処を設置する。 |
| 1731 | ガルダン・ツェレン、清軍をコブドこ破る |
| 1735 | 清、乾隆帝の即位(~1795)。 |
| 1737 | 清、帰化城(現フフホト)を建設 |
| 1755 | 清のジュンガリア遠征で、ダワチ・ハーンが逃亡、ジューンガル・ハン国滅亡 |
| 1757 | 清、再びジュンガル王国に遠征軍を派遣、ジュンガル王国滅亡 |
| 1757 | 対外貿易を広州一港に限定する。 |
| 1758 | 清、東トルキスタンへの軍事行動を開始 |
| 1759 | 清、ジュンガル部を併合 |
| 1759 | 清、回部を平定し、東トルキスタン全域を領有。新疆の名おこる |
| 1762 | 清朝が、イリ河畔の恵遠城に伊犂等処地方将軍府を置く |
| 1771 | トルグート部、清に帰属 |
| 1782 | 『四庫全書』成る。 |
| 1784 | 米国、中国との貿易始まる |
| 1792 | 清、チベットのグルカ族を平定 |
| 1793 | 英国大使マカートニー伯が来朝する。(清) |
| 1826 | ジハン・ギールがコーカンドの援助でカシュガル、コータンなど四城を占領しホージャ政権を樹立(~1828) |
| 1828 | 清朝がジハン・ギールを捕らえる。那彦成による制度改革始まる |
| 1840 | アヘン戦争がはじまる。 |
| 1842 | 清、南京条約を英と締結。 |
| 1847 | カシュガルを中心に七人のホージャの反乱 |
| 1851 | 太平天国の乱がはじまる(~1864)。 |
| 1856 | 第二次アヘン戦争(アロー号戦争)がおこる。 |
| 1857 | ワリ・ハーン、東トルキスタンに侵入 |
| 1858 | ロシアと清の間で愛琿条約が結ばれ、ロシアは黒龍江などの河川の自由航行権と沿海州を得る |
| 1858 | 清、英仏と天津条約をを結ぶ。 |
| 1860 | 英仏連合軍が北京を占領し、北京条約を結ぶ。 |
| 1861 | 同治帝の即位(~1875)、西太后が臨朝する(1908死去)。 |
| 1864 | 新疆各地でイスラーム教徒の蜂起、それぞれ政権をたてる。 |
| 1865 | ホージャを擁したヤクーブ・ベクがターリム盆地に進出しイスラム国家を建設(~1877) |
| 1871 | ヤクーブ・ベク、東トルキスタンのほとんピを支配下に収める |
| 1871 | ロシア軍のイリ占領(~1881) |
| 1875 | 清朝政府、新疆の回復を決定。左宗棠を欽差大臣とし軍務を統轄させる |
| 1878 | 清朝軍がイリを除く旧領を回復 |
| 1879 | リワディア条約。清朝、批准を拒否 |
| 1882 | 清軍、ヴェトナムに入ってフランス軍と戦う |
| 1882 | 中国人移民禁止法。 |
| 1884 | 清朝は左宗棠の建策に従い、ウルムチを首都とする新疆省を成立させる |
| 1884 | 清仏戦争がはじまる。この結果、安南が仏領となる。 |
| 1885 | 第二次フエ条約により、ヴェトナムは清への服属関係を断つ。 |
| 1894 | 豊島沖海戦。日清戦争始まる。黄海海戦。孫文、ハワイで興中会を結成。日清戦争がはじまる(~1895)。 |
| 1895 | 日清講和条約締結。露独仏三国干渉。下関条約により台湾が日本に割譲される。 |
| 1898 | 戊戌政変。 |
| 1899 | 山東で義和団蜂起。米・へイ国務長官、中国における門戸開放宣言(第一次通牒)。 |
| 1901 | 辛丑条約締結。 |
| 1911 | 辛亥革命。 |
| 1912 | 中華民国成立。宣統帝退位。清、滅亡。中華民国袁世凱、臨時大総統就任。 |
| 以下は作成中・・・・・ |