人口:19万8252人。チベット系。
居住地域:主に四川省阿藏族羌族自治州茂汶羌族自治県に居住している。汶川、理県、黑水、松潘及び甘孜藏族自治州の丹巴、錦陽市の北川等に分布している。
言語:漢・チベット語系チベット・ミャンマー語族羌語派に属する羌語を使用。南、北の2種類の方言がある。自民族の文字はない。
歴史:歴史的には、チベット高原東部に紀元前5000年から紀元前4000年以前から居たと言われており、文献上は古代の商王朝(紀元前1000年前後)時代の甲骨文字の資料に記載されている。
古代羌族はチベット系民族で西アジアの遊牧民族であったと言われており、やがて、中国西部に勢力を伸ばし、後に漢民族として漢水の上流にいる羌族を「南羌族」、現在の青海省にいる羌族を「西羌族(胡人)」と呼ぶようになる。
【伝説によると、およそ5000年前に炎帝と黄帝が戦って炎帝が負け、その大部分の領土・領民が黄帝によって支配され、華夏族(現在の漢族)の国である殷を形成した。黄帝の支配から逃れた一部が西と南に移住し、土着の民族と融合してチベット族や羌族を形成した。とされている。】
紀元前1046年に中国の周と協力し、殷王朝を滅ぼし、紀元前770年から紀元前476年頃の中国春秋時代には「斉」を名乗る。紀元前220年頃の中国漢時代には「西羌」と呼ばれ、中国魏晋南北朝時代に陝西省に入り自ら国を建てた(斉万年の軍)。
紀元前206年頃からは前漢に吸収され、紀元後291年から紀元後306年にかけての晋の内乱(八王の乱)時には、羌(後の後秦)、氐(テイ、後の前秦)、匈奴(キョウド、後の前趙、夏国)、鮮卑(センピ)、羯(ケツ、後の後趙)の五民族が参戦しこれらは五胡と呼ばれる(五胡十六国時代)。
チベット族や漢族と融合し、一部が中国西南部の岷江や大渡河、雅聾江などの大河に沿って南下した。現在これらの大河流域に居住する四川省西北部のチベット族諸集団や普米族などは、古代羌族の一分支である。
羌族は漢族とチベット族という二大民族のはざまにあって、一貫して中国王朝側につき、唐王朝時代には、唐軍の兵として吐蕃王国と戦った。
そして一部は吐蕃王国の支配下に入り、一部は寧夏方面に移って、1038年に西夏国を建設したが、これも1227年に元に滅ぼされた。
羌族の人たちは自民族のことを“地元の人”という意味の“尔玛”、“尔咩”と称している。主にトウモロコシ、大豆を主とする農業に従事している。
宗教は多神教で複雑であり、古代ボン教にみられるアニミズムである。ただし北部の羌族では、チベット仏教の影響でラマ教を信仰している。