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中国まるごと百科事典

長江文明

・ここでは、中国長江流域で発掘された新石器時代の遺跡を中心に年代順に記載しました。
・【】内は発掘された場所から考えられる、その文化の発達していた地域です。

年代 文化
地質 考古 西暦
完新世 新石器時代 前期 前半 B.C.8000 八十ダン(はちじゅうだん)遺跡【湖北省】

(紀元前8000ごろ)

紀元前8000年ごろの栽培稲の籾殻が発見されました。

後半 B.C.7000 彭頭山(ほうとうざん)文化【湖南省】

(紀元前7000?~紀元前6000?)

1980年代に湖南省県彭頭山で最古の環濠集落が発見され、稲の散播農法を主流としていたと考えられています。

中期 前半 B.C.6000 河姆渡(かぼと)文化【浙江省】

(紀元前6000?~紀元前5000?)

1973年、浙江省余姚県河姆渡で遺跡が発見されました。

多量の稲籾(インディカ米が7割でそのほかジャポニカ米など)の堆積があり、さらに稲作工具である木製の柄をつけた170個余の骨耜(鋤先)が出土したことから、稲作を行っていたことがわかっています。

また、木造ホゾ組みの高床式住居に暮らし、機を織り、うるしを使用していたと考えられています。

B.C.5000 馬家浜(まかほう)文化【浙江省】

(紀元前5000?~紀元前3500?)

代表遺跡は浙江省嘉興県馬家浜。河姆渡文化を継承して発展。紅陶や玉器が多く発見されています。

後半 B.C.4000 大渓文化【四川省】

(紀元前4400?~紀元前3300?)

1958年、四川省巫山県大渓で遺跡が発見されました。

出土土器は紅陶を特色とし、稲作の灌漑農法が確立し、また、葛を使用した織物が発見されています。

後期 前葉 B.C.3300 良渚(りょうしょ)文化【浙江省】

(紀元前3300?~紀元前2200?)

1936年、浙江省余杭市良渚鎮で400近い遺跡が発見されました。

馬家浜文化を継承して発展し、高水準の玉器が特色です。

絹織や麻織、竹編物、ろくろによる黒陶・灰陶製造が行われていました。

稲・豆・ゴマ・落花生などの穀物が多く発見されています。

このころには父系社会に移行し、階級制度と貧富のある都市国家が形成されていたと考えられています。

中葉 B.C.3000 屈家嶺(くつかれい)文化【湖北省】

(紀元前3000?~紀元前2600?)

1954年、湖北省京山県屈家嶺で遺跡が発見されました。

出土土器は黒陶を特色とします。

大渓文化を継承し、職集団の分業化が進み、城壁都市が出現しており、城内には運河もありました。

甕棺墓の副葬品から、貧富の差があったことがわかっています。

後葉 B.C.2500 三星堆文化【四川省】

(紀元前2800?~紀元前850?)

1986年、四川省広漢市三星堆で遺跡が発見された仮面王国。

約2キロ四方の版築に囲まれた城壁都市を築いていました。

金器・青銅器・玉器・象牙・子安貝など遺物が多く、「立人像」「神樹」「縦目仮面」など遺物の造形も特異なものが多くみつかっています。

史書によると古代の四川省地方では蚕叢・柏灌・魚鳧・杜宇・鼈霊(開明)の王朝が出現し、太陽神を祀っていたとされています。(四川省は天府の国とも呼ばれており、このころの長江上流域の中心地。)

内部抗争で紀元前850年ごろに滅び、新たにこの地方に拠点を作った勢力が「蜀」、「巴」という氏族国家の始まりとみなされています。

初期の「巴蜀文字」はインダス文字に類似しており、特に印章はインダス印章に酷似しています。

石家河(せきかが)文化【湖北省】

(紀元前2800?~紀元前1500?)

1990年、湖北省天門県石家河で遺跡が発見された長江中流域最大級の都城遺跡です。

土器、塑像、紡績の用具、玉器が出土しており、屈家嶺文化を継承した灰陶器を主流とし、銅器も発見されています。

版築による南北1.3km、東西1.1kmの城壁があり、城外から水を引き込んだり、運河として使用した跡があります。

伝説では、石家河の住民は三苗民族とされ、堯・舜・禹に代表される黄河流域の勢力と死闘を繰り返したそうです。

B.C.1500 呉城文化【江西省】

(紀元前1400?~紀元前1000?)

江西省樟樹市呉城鎮で遺跡が発見された青銅器王国です。

1989年には、江西省新淦大洋洲で堤防護岸工事中に殷代後期の大規模な墓が発掘されています。

副葬品は約2000点で、独特の青銅器を特色としています。

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