陜西省・甘粛省一帯を支配していた周族が、武王の時代に、政治腐敗により内外に矛盾を抱えていた商王朝を倒し、鍋京(現在の陜西省西安市南)に建国。
周王朝の版図
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周王朝は血縁を中心とする王族や功臣を諸侯に封じ、その土地を治めさせる代わりに貢納と軍事の義務を負わせるという封建制度を実施した。
B.C.771第12代幽王の外交失策により西方異民族犬戎の侵入を許すこととなった。周王朝の権威は縮小、これを周の東遷といい、これ以後を東周、これ以前を西周と呼ぶ。
東周はさらに春秋時代と戦国時代に分かれる。春秋時代には斉の桓公、晋の文公、 宋の襄公、秦の繆公、楚の荘王、 呉の闔閭・夫差、越の勾践という有力な諸侯が現れ、これを春秋五覇と言う。
B.C.403大国晋の卿であった韓・魏・趙が周から諸侯と認められて、晋は分裂、ここから戦国時代が始まる。戦乱の中“戦国七雄”と呼ばれる強国が残った。各国ではそれぞれ思想家などが重用され、その様々な思想から諸子百家と呼ばれ、その隆盛は百家争鳴と言われた。
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